ブロガーのイケダハヤトさんが、ゴーストライターの存在を告白しました。自身の書籍の半分は自分が書いていないとのこと。驚きの告白を読んであらためて思いました。ゴーストライターは世の中に必要であると。
ブロガーのイケダハヤト氏もゴーストライターを使っていた
ゴーストライターの皆さんこんにちは、よしぞう(@otonahack)です。
イケタハヤトさんは、自分の書籍をゴーストライターに書いてもらっていたことを告白しました。
ゴーストライターに関する彼の考え方は、以前よしぞうがブログで示した考え方と同じでした。やはり作り手の立場では必要な存在のようです。
イケダハヤト氏の書籍の半分くらいは編集者が書いている
彼の考え方は、おおざっぱにまとめるとこうなります。
- その道のプロを参加させることでクオリティが上がる
- 作品を作ったのが自分の力だけではないことを開示する
これは、よしぞうの考え方と一致します。やはり自分だけで作る作品はクオリティが維持できないことが多いです。そういった意味では、編集者だけではなく、ディレクターやプロデューサーもある意味ゴーストライターの一種かもしれません。
要はきちんとクレジットしておけばよいのです。イケタ氏の書籍を読んだことがないので、どのようにクレジットされているのか確認はしておりませんが、彼のブログを読んだ限りでは、可能な限りクレジットしているようですね。
ただ、紙の書籍では、なかなか難しい部分もあるようです。業界の慣習などもあるのでしょうね。
イケダハヤト氏の書籍の半分くらいは編集者が書いているそうです。本人が書いていると信じて疑わなかった人にはショックな告白かもしれません。
ただ、告白しただけ良心的だと思います。
ブログの筋肉を鍛えろと言っていたのはなんだったのか?
「ブログで生活しているイケダ氏が文章を書かないでどうする?!」というツッコミも出そうですね。
イケダ氏が運営するブログの過去記事に「ブログを毎日続けられないのは「ブログ筋肉」が貧弱だから」というエントリーがあるくらいですから。
「筋肉を付けているなら、書籍も自分で書けよ!」と言いたくなるのも分かります(笑)。
しかし「ブログの筋肉」と「書籍の筋肉」は別物なのだと思います。ブログは毎日書いていくので、過去の記事と考えが変わることがあります。つまり過去に書いた記事と、今日書いた記事で矛盾が生じる場合もあるのです。
それでもブログは成立します。極端な話、一昨日書いたあとに、衝撃な体験をして、今日は全く違う考えに変わった、ということもあるでしょう。
しかし、書籍ではそうはいきません。1冊の本としてコンセプトに矛盾があってはいけないのです。書籍冒頭と巻末のまとめで、全く違うことを言っていたら「何だこの本??」と思うでしょう。書籍には俯瞰して物事を見る「編集力」という筋肉も必要なのです。
それ以外にも、出版社のさまざまな部署との調整、広告、営業、製本などトータルに考えて「ビジネス」として進める技量が要求されます。
他の部署から「こういう章を入れてくれ」「売れる本にはこういう事が書いてある」などの要望がくるかもしれません。
たとえブログ筋肉があったとしても、書籍を一人で書けないこともあるのだと思います。
まとめ
というわけで、イケダハヤト氏のゴーストライターについて、まとめです。
- イケダハヤト氏がゴーストライターを告白
- 彼の書籍の半分はゴーストライター
- 彼はゴーストライターを肯定している
- ブログと書籍の筋肉は違う
ビートルズにジョージマーティンがいたように、その道のプロがいると、クオリティも上がりますし、本人の成長にも繋がります。
「ゴーストライター」というネーミングがよくないので、言い方を変えた方が良いですね。